意識なるものが
外界から受ける己の揺らぎと捉えたらどうだろか?
外界にはさまざまなエネルギー波動があると思われ
己の状態により影響を受けるそれは異なってくる
繊細なものや重低音のものや軽快なものや重苦しいもの
意識とはそれもしくはそれらによる揺らぎではないのか
故意にチューニングをすることによって受け取るそれを変えることができうるのかも知れない
あたかもラジオのように
だから己の意思ではあるのだが多分それだけではないと思う
喩えるならば自分の目で見ているものが自分そのものではないのと同じように
視覚のように単純ではないと思われるがある一側面を捉えて喩えるとそんな感じなのだろうか
禅はそのチューニングを研ぎ澄ますために行っているのではないのだろうか?
どうだろう?